
栄西誕生の地
明菴栄西は、永治元(1141)年吉備津神社の権祢冝 賀陽貞遠の子として誕生。吉備安養寺、伯耆大山寺、延暦寺などで天台宗、密教などを学び、日本の仏教を立て直すべく二度にわたり南宋に留学し、禅宗(臨済宗)を伝えた。鎌倉幕府の庇護を受け、建仁寺(京都)をはじめ多くの寺を創建した。宋から茶を持ち帰り「茶祖」としても知られている。「喫茶養生記」は名高い。建永元(1206)年俊乗房重源の後を継いで東大寺勧進職に就任。建保3(1215)年75才で入滅した。
栄西誕生の地
明菴栄西は、永治元(1141)年吉備津神社の権祢冝 賀陽貞遠の子として誕生。吉備安養寺、伯耆大山寺、延暦寺などで天台宗、密教などを学び、日本の仏教を立て直すべく二度にわたり南宋に留学し、禅宗(臨済宗)を伝えた。鎌倉幕府の庇護を受け、建仁寺(京都)をはじめ多くの寺を創建した。宋から茶を持ち帰り「茶祖」としても知られている。「喫茶養生記」は名高い。建永元(1206)年俊乗房重源の後を継いで東大寺勧進職に就任。建保3(1215)年75才で入滅した。