
八徳寺
中山茶臼山古墳の東側の谷間にあり、古墳の後円部を拝む位置。尾上の天台講中の方が大切にお祀りしている。この場所には、山岳仏教が盛んであった平安時代末期に「高麗寺」の金堂があったと考えられている。周辺の土中からは布目瓦が出土しており、金堂の礎石が列をなしているのが発見されている。明治4(1871)年3月に倉敷県庁に提出された「一品吉備津宮社記」によれば、八徳寺は「波津登玖神社」であり、祭神は「温羅命」となっている。このことから、中山茶臼山古墳には温羅が祀られているとする研究者もいる。
八徳寺
中山茶臼山古墳の東側の谷間にあり、古墳の後円部を拝む位置。尾上の天台講中の方が大切にお祀りしている。この場所には、山岳仏教が盛んであった平安時代末期に「高麗寺」の金堂があったと考えられている。周辺の土中からは布目瓦が出土しており、金堂の礎石が列をなしているのが発見されている。明治4(1871)年3月に倉敷県庁に提出された「一品吉備津宮社記」によれば、八徳寺は「波津登玖神社」であり、祭神は「温羅命」となっている。このことから、中山茶臼山古墳には温羅が祀られているとする研究者もいる。