大小の岩が並んでいる場所。昭和10(1935)年皇学館大学の高原美忠学長がここを訪ね、著書「神ながらの道」で紹介されたのが名前の起源。著書の中で「配石の状、音江(北海道)のものに似てゐる。但し石は非常に大きい。……早く保存の法を講じてもらひたい。」と述べている。環状石籬とは、縄文時代の配石遺構で、環状に自然石をめぐらした墓で小樽市忍路のものに使われた名称である。しかしこの周囲の歴史、岩の配置などから考えて、これを環状石籬と呼ぶのに異論を唱えている研究者もいる。
大小の岩が並んでいる場所。昭和10(1935)年皇学館大学の高原美忠学長がここを訪ね、著書「神ながらの道」で紹介されたのが名前の起源。著書の中で「配石の状、音江(北海道)のものに似てゐる。但し石は非常に大きい。……早く保存の法を講じてもらひたい。」と述べている。環状石籬とは、縄文時代の配石遺構で、環状に自然石をめぐらした墓で小樽市忍路のものに使われた名称である。しかしこの周囲の歴史、岩の配置などから考えて、これを環状石籬と呼ぶのに異論を唱えている研究者もいる。