
天柱岩
昔この岩は「ヌスト(盗人)岩」とも呼ばれていたが、昭和9(1934)年に中山通幽が「天柱」の文字を刻んだことから、「天柱岩」と呼ばれるようになった。刻んだ文字は、豪渓にある武元登々庵の書いた文字を写し取ったもの。吉備津彦神社の絵図(1814年)には、この岩に「権現岩」の名が記されており、「備前州一宮密記」にある「龍王山の西八合目には、権現の神座と称する巨岩がある」という記述と一致。この岩の下からは鎌倉時代に祭祀に用いられたと考えられる土師器片が発見されている。
天柱岩
昔この岩は「ヌスト(盗人)岩」とも呼ばれていたが、昭和9(1934)年に中山通幽が「天柱」の文字を刻んだことから、「天柱岩」と呼ばれるようになった。刻んだ文字は、豪渓にある武元登々庵の書いた文字を写し取ったもの。吉備津彦神社の絵図(1814年)には、この岩に「権現岩」の名が記されており、「備前州一宮密記」にある「龍王山の西八合目には、権現の神座と称する巨岩がある」という記述と一致。この岩の下からは鎌倉時代に祭祀に用いられたと考えられる土師器片が発見されている。