
成親供養塔
古墳時代末期の古墳。古代から中世にかけこの一帯には多くの寺社があった。建設用地として整地されたためか石室前部の羨道部は失われている。古墳の天井石の上にある五輪塔は、平安時代末期、鹿ヶ谷事件で平清盛に捕らえられ、有木の別所で非業の最期を遂げた大納言藤原成親の供養塔と伝えられている。台石の上に地輪・水輪・火輪を重ね、風輪・空輪は失われているので、代わりに小さな火輪を載せている。鎌倉時代末期から南北朝時代のものらしい。
成親供養塔
古墳時代末期の古墳。古代から中世にかけこの一帯には多くの寺社があった。建設用地として整地されたためか石室前部の羨道部は失われている。古墳の天井石の上にある五輪塔は、平安時代末期、鹿ヶ谷事件で平清盛に捕らえられ、有木の別所で非業の最期を遂げた大納言藤原成親の供養塔と伝えられている。台石の上に地輪・水輪・火輪を重ね、風輪・空輪は失われているので、代わりに小さな火輪を載せている。鎌倉時代末期から南北朝時代のものらしい。