
重源瓦出土地 忠魂碑の右奥
重源(1121〜1206)は鎌倉時代初期の僧で、俊乗房という。3度宋に渡り仏教・土木建築の技術を習得。治承4(1180)年平重衡の南都焼き討ちにより東大寺は焼失。東大寺再建のための大勧進職に任ぜられ、周防国・備前国を造営料国にし復興の大業を成し遂げた。重源は吉備津彦神社境内に常行堂を建てて逗留した。この付近から「吉備津宮常行堂」の文字入り軒丸瓦・軒瓦や「東大寺」の刻印を押した平瓦などが出土している。「南無阿弥陀仏作善集」には「備前国。造立、常行堂、奉安丈六阿弥陀仏像。…」とあり、残っていれば国宝であろう。