●AD1600 - AD1867頃 徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し、徳川慶喜が大政を奉還するまで |
江
戸
時
代 |
1600 |
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小早川秀秋が備前と美作両国を領す
戸川達安が庭瀬藩主 − 二万九千石を領す
花房職之が高松知行所 − 八千二百二十石を領す
木下家定が足守藩主 − 二万五千石を領す |
1600 |
小堀正次が備中代官とまって松山城に入る |
1602 |
小早川秀秋が死去、嗣子なきため断絶 |
1603 |
池田忠継が備前一国二十八万石を領す 森 忠正が美作一国十八万六千五百石を領す 池田利隆が忠継にかわり備前を監国する |
1606 |
宇喜多秀家が八丈島に流罪となり宇喜多氏は滅亡 |
1614 |
池田光政が岡山城内で生まれた |
1615 |
池田忠継が死去 − 弟忠雄が岡山藩主三十一万五千二百石を領す |
1617 |
池田光政が姫路から鳥取に移封 − 三十二万石 |
1632 |
池田忠雄が死去 |
1632 |
池田光政が岡山へ、池田忠雄の嫡子光仲が鳥取へ移封 |
1634 |
池田忠雄の旧臣渡辺一馬が河合又五郎を討つ − 伊賀越仇討 |
1666 |
岡山藩が多数の寺社を淘汰した → 一宮地区から徳寿寺以外のお寺がなくなる |
1669 |
百間川を堀り岡山城下を洪水の害から守る |
1673 |
閑谷学校の講堂ができた |
1679 |
倉田新田ができ倉安川がつくられた |
1684 |
幸島新田ができた |
1687 |
岡山の後園(後に後楽園と改称)が造営される |
1694 |
松山藩主水谷氏が除封となった |
1697 |
池田家の菩提寺曹源寺が創建される、備前吉備津宮も再建される |
1712 |
岡山藩が71の寄宮を上道郡大多羅村に統合した |
1723 |
福田古新田がてきた |
1744 |
板倉勝澄が松山藩主になる − 五万石 |
1781 |
〜1788 天明年間の大飢饉のとき、岡山の商人常磐屋が八大竜王の祠を奉献する |
1814 |
黒住宗忠が黒住教を開いた→黒住教本部 |
1820 |
児島興除新田ができた |
1852 |
児島郡福田新田ができた |
1863 |
徳川斉昭の子茂政(徳川慶喜の弟)が岡山藩主になる
江戸の末期に三十三観音像がお祀りされる |