吉備の中山を守る会は備前一宮 吉備津彦神社周辺と吉備の中山の清掃・整備活動を中心に、史跡・遺跡・伝承を地域とともに伝える活動をしています。

 
古事記
上巻 − 天地開闢(てんちかいびゃく)(世界の初め)から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)(神武天皇の父/紀元前661年)まで
中巻 − 神武(じんむ)天皇(記紀伝承第1代)から応神(おうじん)天皇(記紀伝承第15代/西暦310年)まで
下巻 − 仁徳(じんとく)天皇(記紀伝承第16代)から推古(すいこ)天皇(記紀伝承第33代/西暦628年)まで
[主に岡山県の歴史・日本文教出版(株)より引用]


●BC10000 - BC 300頃 前期は石器の使用や狩猟採集の時代、後期は稲作を中心とした農耕定住生活



BC 660
 
神武天皇即位(古事記による)
BC 486
釈迦(しゃか)、狗尸那掲羅(くしながら)の沙羅双樹(さらそうじゅ)下で入滅(80歳) ?

●BC 301 - AD 300 頃 農具や武器.工具も石器から鉄器に




孝霊記(こうれいき)(BC290-BC213) − 大吉備津日子命と若建吉備津日子命を吉備国に遣わすとある
BC 88
崇神(すじん)紀(BC97-BC30) − 四道将軍派遣、西道(にしみち)に吉備津彦を遣わすとある
AD 1
キリスト誕生
239
邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)が魏(ぎ)の国に使いを送る
陳寿(ちんじゅ)(233-297)が「三国志(魏.呉(ご).蜀(しょく))」- 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)を完成
楯築遺跡(だてつきいせき)(倉敷市)  − 弥生時代後期のもの
矢藤治山(やとうじやま)古墳(吉備中山) − 弥生時代末期のもの
AD 291
応神紀(270-310) − 天皇、御友別(みともわけ)のそれぞれの子を県主(あがたぬし)に封するとある

●AD 301 - AD 700 畿内を中心に文化が発達、統一国家の成立と発展



   
・数字は大きさの順位 中山茶臼山古墳(吉備中山/120m) 尾上車山(おのうえくるまやま)古墳(吉備中山/135m)
5世紀

1:伝仁徳陵(堺市/486m)
2:伝応神陵(羽曳野市/419m)
3:伝履中陵(堺市/365m)
4:造山(つくりやま)古墳(岡山市新庄/360m)
9:作山(つくりやま)古墳(総社市三須/286m)
両宮(りょうぐう)山古墳(山陽町穂崎/194m)

463
雄略(ゆうりゃく)天皇‐吉備下道臣前津屋(しもつみちのおみさきつや)を誅殺(ちゅうさつ) 、吉備上道臣田狭(かみつみちのおみたさ)、任那(みまな)で反乱するとある
479
吉備上道臣の女稚媛(わかひめ)、星川皇子らと反乱し吉備上道臣ら救援するとある
538
百済(くだら)から仏教が伝わる 石舟古墳/横穴式石室/5.3m/1.6m/1.2m
555
吉備5郡に屯倉(みやけ)が置かれる



593
聖徳太子が摂政になる
645
大化改新‐中大兄皇子(おあなのおおえのおうじ)(天智(てんじ)天皇)らが蘇我氏を滅ぼす→六の坪、条里制
663
朝鮮の白村江(はくすきのえ)の戦いで唐と新羅(しらぎ)の連合軍に敗れる
672
壬申(じんしん)の乱‐大海人(おおあま)皇子が大友皇子を滅ぼす→吉備の分国?→国境石、境目川、両国橋
679
吉備太宰石川王(きびのおおみこともちいしかわおう)が病のため吉備で死す

●AD701 - AD788 この時代は平地伽藍(がらん)、豪族が彼等の根拠地近くに寺院を創建する



712

太安万侶(おおのやすまろ)が「古事記」を完成さす
713
諸国に命じ風土記(ふどき)をつくらせる 備前国の6郡を割いて美作国(みまさくこく)が置かれた
720
舎人親王(とねりしんのう)らが「日本書紀」を完成させる
747
大和の大安寺が備前に150町の墾田を与えられる→比美葦原(ひみのあしはら)
766
吉備真備(きびのまび)が右大臣に任じられる
769
和気清麻呂(わけのきよまろ)が宇佐八幡宮の神託を奉上(そうじょう)(天子に申し上げる)

飛 鳥(あすか) ‐ 飛鳥地方を都とした推古朝前後の時代→六世紀末から大化の改新まで
白 鳳(はくおう) ‐ 天武.持統朝の七世紀後半から八世紀初頭の仏教を中心とした時代
天 平(てんぴょう) ‐ 710年の平城京遷都から、794年の平安遷都までの文化
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『吉備の中山を守る会』事務局
〒701-1212
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TEL:090-6437-5195(鷹取)