安土桃山時代
1582 | 羽柴秀吉が備中高松城を水攻めにする → 鳴谷川遺跡、水奉行の墓、清正公道 |
1597 | 岡山城の改築が完成 市川喜左衛門が長崎で処刑 → 聖ヤコボ喜左衛門顕彰碑 |
1600 | 宇喜多秀家が関ヶ原の戦いで敗れる 小早川秀秋が備前と美作を領す 戸川達安が庭瀬藩主(2万9千石) 花房職之が高松知行所(8,220石) 木下家定が足守藩主(2万5千石) |
江戸時代
1603 | 池田忠継が備前一国を領す(28万石) 森忠正が美作一国を領す(18万5千石) |
1616 | 智円坊日泉上人が正法寺を開く。藤原成親を弔う |
1617 | 池田光政が姫路から鳥取に移封 |
1632 |
池田光政が岡山へ、池田忠雄の嫡子光仲が鳥取へ移封
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1666 | 岡山藩・池田光政が多数の寺社を整理 → 一宮地区から徳寿寺以外の寺がなくなる 尾上村の妙傳寺が備中花尻に移転。西辛川の立成寺は取り潰し、後に花尻に再建 |
1669 | 百間川を掘り岡山城下を洪水の害から守る |
1673 | 閑谷学校の講堂(国宝)ができた |
1687 | 岡山の後園(後に後楽園と改称)が造営される |
1697 | 吉備津彦神社が池田綱政により再建。池田家の菩提寺曹源寺が創建 |
1781 〜1788 | 天明年間の大飢饉の時、岡山の商人常磐屋が八大龍王の祠を奉献する |
1814 | 黒住宗忠が黒住教を開く → 黒住教本部 |
1836 | 平賀元義が吉備津彦神社大守隆恂の賓客になり10年間滞在 → 平賀元義の歌碑 |
1863 | 徳川斉昭の子 茂政(徳川慶喜の弟)が岡山藩主になる 江戸時代末期 三十三観音像がお祀りされる |
近現代
1899 | 赤木格堂が晩年の正岡子規に師事。「日本」の俳句欄の代選 → 赤木格堂句碑 |
1900 | 中山通幽が福田海を開き「陰徳積善」の活動を始める → 福田海、鼻ぐり塚 |
1910 | 中山通幽が藤原成親遺跡を整備する → 藤原成親遺跡 |
1930 | 吉備津彦神社 本殿・随身門を残し焼失する |
1931 | 犬養木堂が総理大臣になる。翌年五・一五事件で倒れる → 犬養木堂銅像 |
1934 | 中山通幽が権現岩(ヌスト岩)に『天柱』の文字を刻む |
1936 | 吉備津彦神社の社殿再建 |
1974 | 黒住教本部が大元から吉備の中山・神道山に遷座 |