
句碑と歌碑
赤木格堂(亀一1879〜1948)は、岡山市南区小串で生まれ、東京専門学校(現早稲田大学)入学のため上京し、すぐに正岡子規を訪ね門下生となり、早期に才能を認められた。大正6(1917)年に衆議院議員、その後小串の村長を務めた。
石碑の句は『名月や 草よりおこる 笛の声』
平賀元義(1800〜1865)は、幕末の万葉調歌人。玉島生まれ。岡山藩の藩校で学んだのち脱藩。吉備津彦神社に滞在し和歌を探求。のちに赤木格堂が正岡子規に紹介し、明治34(1901)年「新聞日本」で「万葉の真価を認めて万葉調の歌を残したるもの、実に備前の平賀元義ひとりのみ」と子規が絶賛し、全国に名を馳せた。
石碑の歌は『吉備津彦 神の社の もみぢ葉は 弥ますますに 色濃くなりぬ』