
藤原成親遺跡
岡山県指定史跡。「平家物語」「源平盛衰記」などによると、大納言藤原成親(1138〜1177)は、後白河上皇に仕えていたが、治承元(1177)年鹿ヶ谷で平家追討の密議を謀り、敗れて平清盛に捕らえられた。備前国に配流され有木の別所に幽閉。そして備前の豪族、難波次郎経遠の家人によって非業の最期を遂げた。荒れ果てていた成親の遺跡を明治43(1910)年に福田海の中山通幽が整備し現在の形にした。幕末の歌人、平賀元義は「あたらこの 成親ごとき よき臣を 有木の山の うもれ木にして」と歌っている。