
妹尾兼康の墓
鯉山小学校の傍らにある宝篋印塔。妹尾兼康(1123〜1183)は平安時代末期の武将。備中妹尾郷を基盤とし早くから平氏の家人となり平氏の繁栄を支えた。「保元物語」「平家物語」「源平盛衰記」などにあらわれる。寿永2(1183)年倶利伽羅峠の戦いで源義仲軍に敗れて捕虜。 備前三石で逃亡し、その後挙兵したが福隆寺縄手、板倉で戦い敗れた。義仲に「あっぱれ剛の者かな。是をこそ一人當千の兵ともいふべけれ」と言わしめた。備中南部4400町歩をうるおす「十二ヶ郷用水」の開発者。
妹尾兼康の墓
鯉山小学校の傍らにある宝篋印塔。妹尾兼康(1123〜1183)は平安時代末期の武将。備中妹尾郷を基盤とし早くから平氏の家人となり平氏の繁栄を支えた。「保元物語」「平家物語」「源平盛衰記」などにあらわれる。寿永2(1183)年倶利伽羅峠の戦いで源義仲軍に敗れて捕虜。 備前三石で逃亡し、その後挙兵したが福隆寺縄手、板倉で戦い敗れた。義仲に「あっぱれ剛の者かな。是をこそ一人當千の兵ともいふべけれ」と言わしめた。備中南部4400町歩をうるおす「十二ヶ郷用水」の開発者。