
正法寺
元和2(1616)年智円坊日泉上人が開祖し、庭瀬の日蓮宗不変院の末寺にしたとの伝承。寛永15(1638)年に蓮昌寺の老住職・正蔵院日定上人が正法寺と改め、大納言藤原成親を弔った。このことから公家寺とも呼ばれている。備前に流された成親は児島から舟でこの正法寺付近に着き、ここから有木の別所に移されたと伝えられている。門の瓦に「嘉永5(1852)年、藤原大納言の菩提のため修復造営す」と刻まれている。門を入り左手の庭に播磨国の竜山石で造られた家型石棺の蓋石が立てられている。
正法寺
元和2(1616)年智円坊日泉上人が開祖し、庭瀬の日蓮宗不変院の末寺にしたとの伝承。寛永15(1638)年に蓮昌寺の老住職・正蔵院日定上人が正法寺と改め、大納言藤原成親を弔った。このことから公家寺とも呼ばれている。備前に流された成親は児島から舟でこの正法寺付近に着き、ここから有木の別所に移されたと伝えられている。門の瓦に「嘉永5(1852)年、藤原大納言の菩提のため修復造営す」と刻まれている。門を入り左手の庭に播磨国の竜山石で造られた家型石棺の蓋石が立てられている。