
石舟古墳

石舟古墳 石棺
古墳時代終末期(7世紀初め)の横穴式石室古墳。中に播磨国の竜山石を刳り抜いた石棺があり水をためている。この水は潮の干満により水量が変わると伝えられており、海岸が近くにあったことが考えられる。石棺の蓋石は、縦に半分に割られ、ひとつは備前一宮駅のホームに置かれ、他のひとつは不明。江戸時代・吉備津神社の社家、賀陽貞持は「吉備津宮略書記」で中世の吉備津神社で行われていた年中行事を紹介。『三月三日(旧暦)。花祭り。温羅の祭りなり』吉備津神社で神事をした後、桜の枝を持ち石舟古墳に詣り、神事の後、桜の枝に水をかけ、花びらが散るまで互いに打ち合うという内容。室町時代には、石舟古墳が温羅の墓だと考えられていたことになる。4月第1日曜日にこの場所で『温羅の花祭り』をしている。