
忠魂碑と台石
忠魂碑の台石はとても大きな岩で、昔磐座として崇められていたという伝えがある。元は一段上の畑にあり、大正時代に今の場所に下ろされたらしい。中世には、上の畑の辺りに、丑寅(北東)向きに備前吉備津宮の本殿があり、この磐座を通して先にある吉備の中山(中山茶臼山古墳)を拝んでいたのではないかとも考えられている。忠魂碑前の広場からは、奈良時代から平安初期の鴟尾片が発見され、ここは重要な場所であったと想像される。
忠魂碑と台石
忠魂碑の台石はとても大きな岩で、昔磐座として崇められていたという伝えがある。元は一段上の畑にあり、大正時代に今の場所に下ろされたらしい。中世には、上の畑の辺りに、丑寅(北東)向きに備前吉備津宮の本殿があり、この磐座を通して先にある吉備の中山(中山茶臼山古墳)を拝んでいたのではないかとも考えられている。忠魂碑前の広場からは、奈良時代から平安初期の鴟尾片が発見され、ここは重要な場所であったと想像される。