吉備の中山を守る会は吉備の中山の清掃・整備活動を中心に、史跡・遺跡・伝承を地域とともに伝える活動をしています。

〜室町時代

平安時代

847 「続日本後紀」に備中吉備津宮(吉備津神社)(初出)
901 菅原道真が右大臣から太宰権師に左遷され、903年に没す。 → 天満天神社
905 「古今集」編纂(まがねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ)
927 「延喜式」備中吉備津宮 → 「名神大社 吉備津彦神社」と記載
940 備中吉備津宮が最高位一品を受け「一品吉備津宮」と呼ばれる
995 「枕草子」(清少納言)「山は、小倉山。三笠山。……吉備の中山。嵐山。…」
1000頃 吉備の中山の山中に「高麗寺」ができる
1061 備中吉備津宮本社 焼失
1129 備前の守平忠盛が瀬戸内海の海賊を追討する
1159
1165 「永万文書」に備前吉備津宮(吉備津彦神社)(初出)
1168 御野堰料(六丁樋のこと)の言葉が残る → 座主川用水
1169 備中足守庄絵図がつくられる。神護寺に現存
1175 法然が浄土宗を開く(1212年、80歳で没)
1177 鹿ヶ谷事件で藤原成親が備前に配流誅殺 → 藤原成親遺跡、成親供養塔、おちかさん
1180 妹尾兼康が南都の騒乱の鎮圧に出向く
東大寺炎上 → 俊乗房重源が造東大寺の大勧進職になる
1183 妹尾兼康、木曽義仲軍と戦い討ち死に → 妹尾兼康の墓、辛川合戦、笹ヶ瀬古戦場
1191 栄西が中国から帰国し禅宗(臨済宗)を広める。喫茶養生記、(1215年、75歳で没)

鎌倉時代

1193 備前国が造東大寺の知行国となる → 吉備津宮常行堂跡
曽我兄弟の仇討ちに巻き込まれて、大守王藤内隆盛が富士の裾野で没する
1206 俊乗房重源没(86歳) 東大寺大勧進職 → 栄西
1221 承久の変 後鳥羽上皇の皇子頼仁親王が備前児島に流される(宮内庁管理)
1229 「百練抄」 備後吉備津神社(初出)
1230頃 龍王山頂上に経塚がつくられる → 経筒(岡山県立博物館)
1262 円爾弁円が臨済宗を備中に広める → 井山宝福寺
1221 承久の変 - 後鳥羽上皇の応じ頼仁親王が備前児島に流される
1262 円爾弁円が臨済宗を備中にひろめ井山宝福寺が県下初の禅寺として開創
1278 一遍上人(時宗開祖)が備前地方に遊行布教
1332 後醍醐天皇が隠岐遷幸の途中、児島高徳が院庄で桜樹を削り忠臣を奏上
1333 松田盛朝が備前守護になる

南北朝時代

1336 足利直義の軍勢が大井田氏経を備中福山城に破る → 吉備津彦神社に鐘を奉納
1341 大覚大僧正の布教により法華宗が備前・備中に普及 → 題目石、大覚寺
1357 吉備津神社 南随神門完成

室町時代

1425 吉備津神社の現在の本殿・拝殿(国宝)が造営される
1467 画僧雪舟が明国に留学する。(1420年備中赤浜に生まれ、1506年、87歳で没)
1471 吉備津彦神社の門前町が発達しはじめる
1562 吉備津彦神社焼失(金川城主松田元賢 放火) → 呼び坂、うない坂、散泊峠
1568 宇喜多直家が金川城を落とし、松田氏は滅びる

 

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